2013年2月27日水曜日

一番でなくてもいいのだ

昨年の10月に、オリンピック候補の女子柔道選手15名から園田監督の暴力・体罰・パワーハラスメントの理由で、交替させ欲しいとJOCに嘆願書が出た。

それを、JOCは全日本柔道連盟に調査するようにと指示?がでた。

こんな嘆願書は全日本柔道連盟は無視する。

「調査をしました。大した問題ではなく、園田監督の更迭は致しません」、と軽く、かわしたのだ。

ところが引き下がらなかったのは15人の女子柔道選手である。

この一月まで話は続いたらしい。

タイミングは良かった。今、学校の体罰やいじめが問題になっている最中である。

この問題がマスコミの格好の餌食になったのだ。

結局、園田監督を引きずりおろすしか方法はなくなった。

ついでに、全日本柔道連盟の上田会長も責任を取らされて辞任に追いこまれた。

テレビに出てくる連中で金メダルをとった柔道選手は口を揃えて、「自分は体罰や暴力は決してなかった」と主張する。

谷亮子(現在は参議院議員)は、そんなものは存在しないと言い切る。

どうしてあなたは真実を言わないのか?

しかし、スポーツ評論家はほとんどが体罰や暴力は平然とされていた。柔道世界の古い体質だと説明する。

園田監督はビンタをしたり、口で「死ね」とまで言ってののしるらしい。

自分が受けたトレーニングを後輩にも同様に押し付けているのだ。

私も、柔道の世界に身を置いたことがあるが、その体質の古さが嫌で逃げ出した人間である。

今こそ、日本のスポーツの在り方は見直されなければならない。

強くなくてもいい。

それこそ、一番でなくてもいいのだ。

学校で成績は必要か?

教育の在り方が解らなくなったためであろう。

特に公立の学校はひどい。

だから、私学を希望する人が増えてきた。

私学は方針がはっきりしている。

我が校は情操教育に力を入れており、将来自立できるように育てていくなどと主張し、その考えに同調できない人は入学しないでいただきたいというほどである。

正に強気である。

ところが効率となるとそうはいかない。

義務教育という点から言えば、生徒を拒否することはできない。

かと言って、自分の思うような理想的な授業?をすると保護者並びに教育委員会から文句が入る。

保護者の中には強烈な人がいて、その人達のことをモンスターペアレント(怪物的な親)という。

だから、先生が自主的に、あるいは積極的に教育・指導ができる筈はない。

そこで、私は提案する。

先生は、成績を付けるべきではない。

もともと、教育に点数などで評価することはおかしい。

先生は指導要綱に沿って指導をするが、先生の独自性は尊重すべきである。

その独自性を売り物にすべきだ。

あの先生の授業は面白い。だから、あの先生のもとで勉強したいと生徒が申し込むようにする。大学のシステムと同じである。

人気の無い先生のところには生徒は集まらない。

応募者数によって先生の評価をしてもいい。

学期は前期後記とし、それぞれの中間・期末にはテストを行う。

ただし、そのテストは、従来の点数制ではない。

全て論文形式とする。

算数なども100点などはつけない。

提示した問題を解くか解かないかである。

別に解かなくてもいい。ただし、その結果を親に見せるだけである。

親が、何とか解けるようにしてくれと頼むと、先生はその意向に沿って生徒を指導していく。

国語や英語も同じ。課題図書を出して、読後感想文を書かせる。

その結果を親に判断させる。

先生は親に対し補足説明をするだけである。

すなわち、教育の最終責任は親であるという根本思想を貫くことが大事なのだ。

将来、進学して弁護士にさせたければ、親はもっと真剣に取り組めばいい。

別に魚屋や八百屋、あるいは農業に従事させるつもりであれば、あまり、勉強に力を入れず、その方面の体験をさせればいい。

当然、人には職業の方向転換というものはあるはずである。

その機会は保証してやればいい。

点数で人の能力を判定するやり方はやめるべきだ。

また、先生に教育のすべてを委ねていいわけはない。

死にかけた患者が病院に担ぎ込まれたとしよう。

今外科的手術をすれば、かなりの確率で治るとしよう。

放っておいたら100%死ぬとしても、医者は本人もしくは親・親族に確認するであろう。

全ての責任は医者にあるのではなく、親にあるのだ。

教育と全く同じ。

昔、百姓には教育のことが全く分からなかった。

だから、「先生様、宜しくおねげえします」

という外なかった。

今は、ほとんどの親は教育の何たるかは理解している。

だからこそ、親が責任を持ってジャッジすべきなのだ。

先生は親と連携して、子供の教育に当たればいい。

モンスターペアレントではなく、

「Parents as teacher」(先生としての親)

であるべきなのだ。

当然、それができない親は、あらためて先生に委任状を出すべきなのだ。